リュネビル刺繍の歴史のおはなし。
技法が生まれたのは1810年のフランス、リュネビル地方。
当時はビーズやスパンコールを刺繍するためではなく、チュールの上に糸で刺繍してレースのように見せるための技法でした。
聖職者の法衣、祭壇布、洗礼用のドレスや帽子によだれかけ、ショールなどが作られ、リュネビル地方の特産となりました。
クロシェという鋭利なカギ針を使うリュネビル刺繍。
まだ家内制手工業が盛んだったその時代、クロシェの使いやすさはその地方の刺繍職人たちの間で話題となり、大きな流行となったそうです。
その後、ビーズやスパンコールにもリュネビル刺繍が活かされ、オートクチュールの歴史とともに今に至ります。
2回の世界大戦をはさんで刺繍もファッションも衰退ムードになりますが、人々の熱意によって見事復活し、発展し続けています。
それはフランスだけでなく日本でも。
オートクチュールの文化はないけれど、その美しさに魅了された私たちなりに、この伝統技術を育んでいけているのかなと思います。
まさか遠く離れた日本の地でこんなにリュネビル刺繍が人気だなんて、当時の職人たちは想像もできなかったでしょうね。